お米とお餅

お米とお餅

お米とお餅

随分昔、子供だった時、奈良の田舎の実家にあった米びつ。縦長の箱型で、レバーのようなものを一回押せば1合分のお米が計量されて出てくる、ザ昭和な代物。それによく似たものが、ある日群山のアパートにやってきた。使わなくなったから、と彼の友人が譲ってくれたのだ。中にはけっこうな量のお米が入ったままだったから、とてもありがたかった。

早速お米を炊こうと、久しぶりに押したレバーの感覚に懐かしい子供のころの実家の風景が思い起こされた。感傷に浸るのもつかの間。出てきたお米を研いでいると、何かが変なことに気づく。近眼なのでよく見えていないかもしれない、でも、気のせいではないような気がする。恐る恐る顔を近づけると、何か黒い物体がお米の間からお水に浮かんできているではないか。

ギャーッ!!

コクゾウムシだった。取り除けば特に問題はないらしい。だが、当時の私はそんなことも知らなかったし、第一初めて見るコクゾウムシに恐れおののいた。昔から虫は大の苦手だ。無理、無理、無理、絶対無理。どうするん?この大量のお米!

 すると、夫が床に新聞紙を敷き、米びつに入っていたお米をすべて新聞紙の上に広げ始めた。そのとたん、お米の中に潜んでいた虫たちが部屋の隅めがけて一斉に移動するではないか。今も忘れない光景だが、トラウマになりかねないほどの衝撃だった。お米の山から脱出した虫たちをすかさず掃除機で吸い取っていく。

その日はあたたかな春の良く晴れた日だった。新聞紙を敷いたお部屋は南向きの大きなガラス窓があるお部屋だったから、日当たりがとてもよかった。虫はこの光が苦手なんだそうだ。だから、暗がりめがけて逃げ出したらしい。掃除機で吸い取っても吸い取ってもきりがないくらいの虫との戦いは、時間はかかったが無事に終わるのだけれど、問題は残ったお米。あの光景を見てしまうと、申し訳ないけれど、このお米を食したいとは、どうしても思えなかった。かといって破棄することもできない。

考えに考えた結果、彼が出した結論は。

おもむろに大きなリュックにお米を詰めだした彼は、ひょいっとそれを背負い、今からバスに乗り市内に行こうと言う。聞けば、お餅屋さんで引き取ってもらえるかもしれないと言うのだ。この古米とお餅を引き換える?このご時世にそんな頼みを了承してくれるような神様みたいなお店あるんやろか。よく揺れる田舎のバスで、10キロはあろうかというお米でパンパンのリュックを背負った彼の横で、わたしは、自分が今西暦何年に生きているのか一生懸命考えたほどだ。 

市内の古びた市場の中にあるお餅屋さんは、私たちの持っていたお米をすべて引き取ってくれた。そして、お米の代わりに相当分のお餅を持って行けと言う。韓国のお餅は大好きだ。インジョルミは、甘さのないあべかわ餅みたいであっさりおいしいし、中にゴマの甘い蜜が入ったソンピョンは一口でいくつも頬張ってしまう、なつめや栗がゴロゴロ乗ったヤッパプも独特の風味がよい、真っ白なペクソルギははちみつをつけて食べると最高だ。お餅はすぐに硬くなるので、その日は1日で食べられる分だけいただくことにした。残りはまたいつでも取りに来たらいいよ、と店主は言ってくれたけど、行くのが億劫で、結局そこへ行くことは二度となかったが。

 私には、この物々交換的な体験は初めてだったし、そんなシステムが当たり前のように機能していることに、ひっくり返るほど驚いた。お米の中に虫を発見してしまった驚きを上回るくらいの驚きだった。

でも、たぶん、今の韓国なら、田舎であってもこんな経験できないんじゃないかなと思う。

衛生的なこととか考えたら、素人目にも、どこの誰だかわからない赤の他人が持ち込んだお米を引き取って、それでお餅を作り、広くお客に売るなんて、絶対ありえない。

きっともう韓国ではこんな経験できないだろう。当時は、結局よくわからへんけど初めてだらけで面白かったな、とか、お米問題解決してラッキー、くらいにしか思ってなかったと思う。でも、古き良き韓国の人情とか、穏やかさとか、緩さ、そういったものを直に感じることができた経験だった。だから、あの日見聞きし感じたものが、何十年もたった今になっても、形とか映像のような思い出とはまた違って、何か空気感や温度感みたいなものが、感覚としてしっかり残っている。思い出すと、とても暖かくなれる。

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