教習所 운전면허학원

教習所 운전면허학원

教習所    最近日本では、自動車学校の受講費が高いと話題になっている。昔は、年齢×1万円なんて言われていたらしいが、実際に我が家の息子も1年半前に免許を取りたいと言い出し、教習所に通わせたが、MT車を希望したせいもあるが、学割が効いても年齢×2万円近い金額をお支払いした記憶がある。    それで思い出した。20数年前、学生だった夫は群山で免許を取得したのだが、当時の受講料はすべてコミコミで日本円で5-6万円程度だった。どの国でも、20万くらいが相場だろうと思っていたから、想像をはるかに下回る金額はうれしい驚きだった。 私は、韓国の教習所と言えば、この群山の教習所しか知らないが、初めてこの教習所を見たとき、正直ここが本当にちゃんとした教習所なのか疑ったくらい、何ともこじんまりとした簡易的な場所という印象だった。この奥にでも、私が想像するちゃんとした教習所が隠れているのではないだろうかと思うくらいだった。 大学から教習所行のシャトルバスがあってそれに乗ること15分くらい。大きな道を外れると、山に続く坂道があり、坂道を上がりきった行き止まりのむこうには、平らに広がった広くもない場所があって、そこが教習所だった。まわりには、山しかなかった。   手続きする事務所が入った建物も、待合室も、プレハブだった。待合室にいたっては、コンテナに窓がついただけのような、ほんまに?と思うような建物の中に折り畳みのパイプ椅子が数脚置かれているだけだった。エアコンなどもなく、寒いときは窓を閉め、暑いときは窓を開ける。言わば、自然に優しい待合室だった。肝心の教習するコースは、日本でよく見かけるそれの半分にも満たない規模だった。アスファルト舗装された道以外は、草が生えた空地そのものだった。そして、教習車は、トラック!AT車限定免許なら、もしかしたら普通の乗用車での教習だったのかもしれないが、驚きのあまり私の目はトラックしか捉えていなかったので、そこは残念ながら記憶がない。今は少し制度が違うと思うが、当時はMT車で免許を取得すると、8トントラックまで運転できた。 トラックには、ランプのようなものがついていて、何か違反であったり、路肩に乗り上げたりすると、点灯する仕組みになっていた。ランプが点灯すると、たしかその日の教習は終了し、次回持越しになったように記憶している。そのため、ランプが点灯しないか、ヒヤヒヤしながら、夫の教習を見学したものだ。   でも、たしかにここはちゃんとした教習所で、その後、全州にある免許センター?みたいなところへ行き、無事に免許を取得できた。ただ、日本に来てから、免許更新のために帰国するタイミングを失ってしまい、思い出のあるこの群山の教習所で取った免許はあえなく失効。今は韓国で運転する必要があるときは、面倒だが国際免許証を申請している。パスポートみたいに、領事館とかでも、免許証更新できたらええのになぁと心底思う。   その後、学生だったので車もないから、ペーパードライバーのまま過ごすのだが、ソウルでの就職が決まり、会社の意向?ご厚意?で車通勤が始まる。このときのおもしろエピソードはまたいつかの機会にお話できたらいなと思う。   既出の親友ヒジョンは、ちなみにスーダンで免許取得している。特に講習もなく、教官と一緒に車に乗り、言われるがままエンジンをかけて、アクセルを踏む。50メートルほど直進してストップ。はい、OK!で免許無事取得できたよーと笑っていた。スーダンと韓国の道路事情はかなり違うらしいのだが、彼女にある日車で迎えに行くよと言われたときは、さすがに丁寧にお断りした。そんな彼女も、今は3児の母!かっこよく韓国の道を走っていると信じている。    

チョガマダン 군산 맛집 초가마당 식당

チョガマダン 초가마당 식당

チョガマダン  アパートのお向かいに大きな空地があったのだが、ある日その向こう側に一軒だけぽつんと古民家風の建物ができた。そこそこ大きくて、古民家風でありながらもモダンなその建物は、チョガマダンという名のお昼間はカフェ、夜はお酒が飲める食堂としてオープンした。  今のように何でも調べれば情報が出てくる時代ではなかったこともあり、初めて入るお店というのは、雰囲気もメニューも価格帯もまったくわからない。私は住んでいた部屋の南向きの大きな窓から、チョガマダン全体がよく見えたから、たびたびベランダに出て、何かしら情報が得られないかと観察を試みてみたりもしたのだが、お客さんが入っている風でもない。行ってみたい、でも、場違いやったらどうしよう、とか、めちゃくちゃ高かったらどうしよう、とか思ってしまって、なかなか行動できずにいたのだけれど、若いって素晴らしい!怖いもの知らずだし、何だかんだで好奇心が勝ってしまう!  意を決して、木製の大きな重たいドアを押したら、そこには思っていた以上のパラダイスが広がっていた。広々とした店内は、天然木を使ったテーブルやいす、センスの良いインテリア、むき出しの高い天井の大きな梁、明るくて暖かく落ち着く空間そのものだった。初めて来たのに、居心地が良い、そんなお店だった。お昼は、自家製の伝統茶が楽しめるカフェだったが、私は主に夕ご飯を楽しんだ。  オーナーさんの感じも良くて、建物のすぐ横の畑でとれた新鮮で無農薬の野菜を使ったお料理はどれもこれも美味しかった。中でもわたしが特にお気に入りだったのは、ユッケジャン。ここのユッケジャン以上に美味しいユッケジャンにまだ出会ったことはないし、生涯出会うことはないと思う。それくらい美味しいユッケジャンを出してくれるお店だった。材料など何かが特に違うわけではないと思うけれど、とても深く優しい味で、体にいいものを食べている気がした。あれほど行くまで躊躇していたことが嘘のように、わたしはすぐにチョガマダンの虜になり、一日おきに通ってしまうことになる。  ほかにも、トガニタンは、まったく辛くない味なのにも関わらず食べ始めた途端体中から汗が出てきて、びっくりした。体中がデトックスされているのがよくわかった。아~시원해~と無意識につぶやいたほどだ。これほど、시원하다という言葉がぴったりなシチュエーションはないと思う。ここのごはんを食べると、元気になる気がした。 いつも決まって、ごはんの後はトンドンジュとアルタンを楽しんだ。甕に入ったトンドンジュは、甘くてさっぱりしていて飲みやすくてついつい飲みすぎてしまう。いつもきっちり2甕美味しくいただいた。でも、平気。そう、若いって素晴らしい!当時、二日酔いなんて言葉、わたしの辞書にはなかった!  アルタンは、たらこや白子?など魚卵を辛いスープで煮込んだものなのだが、これがまたトンドンジュによく合った。今も韓国に行くと、必ずアルタンを探して歩くのだが、たぶん日本では食べられないお料理だと思う。韓国に行ったら、夜のお楽しみにアルタンとトンドンジュもしくはマッコルリをおススメします。  約10年前、旅行で群山に行ったのだが、チョガマダンは健在だった。建物も、内装もそのままだった。でも、わたしの好きだったユッケジャンやアルタンはもうメニューにはなかった。キムチの古漬けをお鍋にしたキムチチム専門店になっていた。今や幻の味になっちゃったなぁ。  だけど、次回韓国に行くときは、もう一度チョガマダンに行きたいとは思っている。

図書館の思い出

図書館の思い出

図書館の思い出 群山大学には、大きな図書館があった。私が日本で通っていた大学にももちろん図書館の棟はあったが、調べもののために行く場所という感じだった。地下に書庫があり、1階と2階にも多くの本が収蔵されていた。大きなテーブルがいくつかとイスが置かれていて、そこで調べものにふけった。主に中世の文学を学んでいたので、図書館には足繫く通ったし、4年間みっちりお世話になった。  群山大学の図書館は、私が知っている大学の図書館とは少し違い、本が収蔵されている場所というよりは、自習をする場所という感じだった。大きなテーブルはなくて、仕切りのある個人用の小さな机がズラーっと並んでいる自習室がたくさんあった。そして、いつも朝早くから夜遅くまで自習をしている学生で満員だった。  私も、図書館の静かな雰囲気と、ピリッとした空気感が好きでよく通った。ここで韓国語か英語の勉強をよくしたが、まわりの学生の熱心な姿に刺激されるのかとても集中できた。おもしろかったのは、時々、栄養ドリンクの会社の人が自社の栄養ドリンクを無料で配りにくることだった。無言でそっとドリンクを机の端っこに置いてまわる。よくあることなのだが、最初はびっくりした。うっかり受け取ろうものなら、代金を請求されるのではないかと心配したものだ。地下鉄内で、違法だが物販をしたり、なにか主張する人が、座っている乗客の膝の上に商品やら冊子やらをのせていくことがある。あれは、うっかり受け取ると、買う意思がありと見なされて代金を請求されるので、一切触れてはならないと教えられたが、図書館内で配られる栄養ドリンクはそのまま受け取ってよいらしかった。試飲品的なものなのだが、こんなことをされると、ええ会社やん、このドリンク美味しいやん、となってしまうのが私なので、今でも韓国に行くとこの時のドリンク会社贔屓である。  また、少し休憩したいときや、学食でのランチ後には、よく1階の入り口近くの自販機のコーヒーを飲んだ。紙コップの少量のさして美味しくもないコーヒーだったが、一杯300ウォンだったと記憶している。安かったから、いつも誰かが買ってくれていたように思う。韓国のこの文化好きやわ。ラインナップは、甘ったるいコーヒーと、うっすーいアメリカンと、なぜかユルム茶だった。当時ブラックは飲めないお子ちゃまの舌だったので、甘すぎるほど甘いコーヒーを選んでいたが、美味しくもないと思いながらも、習慣になり毎日コーヒーの時間が癒しでもあった。  勉強をしているとき、私はよく音楽を聴いた。今の人は知らないと思うけど、当時は時代の最先端MDというものがあった。日本にいるときに、せっせとCDをレンタルして、MDにダビングし、マイセレクション的なものをよく作ったものだ。好きだったのは、ウエストライフとか、ブリトニースピアーズとか、スピッツ。シャ乱Qもあったなぁ。 あぁ、もうこのへん死語だらけやわ。  ちなみに、私がコーヒーやらトイレやらで席を立っている間、まわりの席の知らない学生が、私が何のテキストを開いて、何の勉強をし、何の音楽を聴いているか、こっそりチェックしていたことは驚きを通り越して笑ってしまういい思い出だ。今なら、大問題やけどねぇ。  音楽を聴きながら、したいことを一生懸命勉強できたこの環境で過ごせたこと、いい時間やったなぁと思う。たぶん、今日のこの時間も、20数年前と変わらず、群山大学の自習室は勉強熱心な学生さんで満員なんやろうなぁ。人はいくつになっても勉強とは言うけれど、怠惰な毎日を過ごすばかりで、テキストもまっさらなままの私。学生さんからまた刺激もらうため、あの光景、見に行きたいなー。

カフェとヒジョンの話2025.2.8

カフェとヒジョンの話

カフェとヒジョンの話    群山にもカフェがいくつかあった。  今みたいに世界的なチェーンや、おしゃれなカフェはなかったけど、市内に行くと個人経営のようなカフェがあった。メニューは基本的なドリンクのみだった。でも、今と大きく違うのは、食べ物の持ち込みOKなことだった。どこかのケーキ屋さんで買ってきたケーキを持ち込んで、注文したコーヒーとともに楽しむなんてことはふつうの光景だった。   少し話がそれるが。今は韓国発のおいしくてかわいらしいスイーツがいろいろあるけれど、この当時、韓国にスイーツなんてすてきなものはなかった。ソウルですら、おいしいケーキやパンが食べたければ、日本で修行してきた職人さんがいるお店に行かなければならなかったし、数も多くはなかった。そして、肝心のお味は、なんだかなぁ・・・なものが多かった。町中にあるたいていのケーキ屋さんのケーキには、いちごのかわりにミニトマトがのっていたし、生クリームではなくバタークリームが主流だった。それが、20年後にはこんなに変わるなんて!   群山にいるとき、カフェへはひとつ年下の友達とよく行った。ヒジョンというめちゃくちゃ美人でめちゃくちゃ優しい子だった。彼女とは、大学の中の社会人向けの英語講座で知り合った。群山大学の英語科を卒業した彼女は、航空会社への就職に向けて英語講座に熱心に通っていた。ある日の授業後に少し立ち話をする機会があって、そこから、私たちはすぐに仲良しになった。ヒジョンのお姉さんのご主人は、日本でいうところの外務省にお勤めだったので、ヒジョンは大学を休学し、お姉さん夫婦の赴任先であるスーダンに帯同した貴重な経験を持っていた。スーダンの比較的安全な場所に住んでいたのだが、そこでの出来事や、旅行で訪れた中東の話はとても興味深かった。今の情勢では、絶対に訪れることのできない国や、壊されて永遠に姿を消してしまった歴史的価値のある建物や遺産、光景もたくさん見てきた彼女は私にいろんな世界を見せてくれた。スーダンのGがどれほど大きいかなんて話で盛り上がって笑い転げたことも懐かしい。   ヒジョンはその後、しばらくして仁川空港に就職が決まり、当時本国勤務だったお姉さん夫婦が住んでいた京畿道のイルサンに引っ越すのだが、時を同じくして私も偶然イルサンに住むことになる。ヒジョンは、私が結婚するときには介添人を務めてくれたし、長男を出産した際にもたくさん助けてくれた。日本の両親が韓国に遊びにくるときは、私に代わり、仕事を抜けて空港での出迎えから、空港バスに親が乗るまでをサポートしてくれた。ヒジョンはいつもにこにこしていて、お料理上手で、美容にも詳しかった。彼女とのおしゃべり時間はいつもいつも楽しかった。今でもとても大切な、そして自慢の友人だ。   ヒジョンとよく行った群山のカフェはどこも、コーヒーを一杯注文すると、クッキーだの、バナナだの、お皿に山盛りのお菓子が出てくるのがふつうだった。だから、コーヒー一杯で長居できたし、おなかは満足した。うっかりランチを食べすぎた後に行ったカフェでは、クッキーの山を前に、ランチを食べすぎたことを後悔したことは数知れない。私は、てっきりこのサービスが韓国どこでも共通なのかと思っていたけれど、ソウルではそうではなかったらしい。この事実を知った時のがっかり感は相当なものだった。なんやねん、損した気分やん、と。コーヒー一杯で元を取ろうとする関西人気質がついつい出てしまう・・・。   今でもソウルに行くと、必ずカフェに行く。朝早くから空いているところも多いから、チェーンのパン屋さんのカフェで朝食を兼ねてコーヒーを飲んだり、歩き疲れて、そこらへんのカフェで休憩することも多い。そして、たくさん歩いたんやし、と言い訳をして美味しそうなスイーツも注文してしまう。カフェに行くとやっぱりテンションが上がってしまうよね。

優しい人

優しい人

優しい人  アパートからタクシーで20分くらいのところに大型マートができた。それまで、個人商店のような小さなマートか、それよりは少し大きめのスーパーしかなかった群山に初めてできた全国展開の大型マート。黄色がメインカラーのマート、と言えばわかるだろうか。食料品はもちろん、衣料品、生活雑貨、玩具、文房具など生活に必要なものすべてが揃い、フードコートもあるこの大型マートの誕生は、待ってました!と思わずガッツポーズを決めたくなるような嬉しさだった。  週末になると、遠回りになるけどバスで市内まで行き、そこから10分程度タクシーに乗る。帰りはマート前からタクシーでアパートまで帰る。当時の私たちは車を持っていない学生だったから、タクシーに頼らざるを得なかったのだけれど、その時の群山ならタクシーの初乗りが170円程度だったから、負担になるほどでなかったのはラッキーだった。  その日、わたしたちはいつものように市内までバスで移動し、市内の飲食店でランチをし、午後からタクシーでマートに向かった。そして、いつも通り海外マートにありがちな大きなカートを押しながら、必要な食料品や雑貨を選び、レジに並んだ。ベルトコンベアの上に商品を載せ、店員さんがバーコードを読み取り、お会計がどんどん進む。そして、いざお支払いという段階で、お財布がないことに気づいた。タクシー降りたときはちゃんとあったはず。 え?え?え?とりあえず、お会計を保留にしてもらい、そこらへんを歩き回り、どこかに置き忘れていないか探し回った。お店の外も探し回った。最悪、中身はなくなってもお財布だけでもごみ箱に捨てられていないかも探し回った。  お財布には、クレジットカード、外国人登録証、おろしたばかりの現金数万円と、学生にしたらまぁまぁな金額の残高が印字されたATMの明細票が入っていた。夫の姉がプレゼントしてくれたお財布だけでもせめて戻ってきてほしかった。でも、もう、いろいろあきらめきれへんけど、あきらめなあかんやつ・・・。  マートでのお買い物は申し訳ないけどキャンセルして、いったん家に帰った。アパートについてから家にあるお金でタクシー料金を払い、日本の親に電話し、クレジットカードをとめてもらった。もうどうしようもないけど、今日はとりあえず寝るしかないやん。  次の日は日曜で、私の心とは真逆でよく晴れていた。仕方なしに、ベランダでお洗濯ものを干していたら、ピンポンが鳴った。ピンポンが鳴るときはたいていしつこい宗教の勧誘だったから、この朝のピンポンはただでさえささくれてる私の神経を逆なでするかのようだった。  夫が対応したのだが、ピンポンを鳴らしたのはなんと警察の方だった。昨日、お財布の落とし物届けがありました。中身を確認すると、外国人登録証があって、その住所がこちらだったので伺いました、といった内容のことを言われた。中身を確認するように言われて、その場で確認したのだが、すべてが完璧なまでにそのままだった!クレジットカードも、現金も、明細票までもがそのままだった。 本当に信じられなかった。  警察の方にお礼を言い、落とし物をとどけてくれた方の連絡先を聞き、すぐに電話した。お礼をお伝えし、なにか形でもお礼をさせていただいたいと申し出たのだが、それは丁寧に固辞された。当然のことなのでそこまでしていただかなくても。と。本当にそんなことがあるんや。しかも自分の身に起きたんや。世の中にそんな奇特な人がほんまに存在するんや。  ほんまにほんまにありがたかった。いったんは、あきらめたすべてのものが、そっくりそのままで戻ってきたのだから。名前も顔も知らない方だが、今も私の中で、とても優しかった人として記憶している。