
カフェとヒジョンの話
群山にもカフェがいくつかあった。
今みたいに世界的なチェーンや、おしゃれなカフェはなかったけど、市内に行くと個人経営のようなカフェがあった。メニューは基本的なドリンクのみだった。でも、今と大きく違うのは、食べ物の持ち込みOKなことだった。どこかのケーキ屋さんで買ってきたケーキを持ち込んで、注文したコーヒーとともに楽しむなんてことはふつうの光景だった。
少し話がそれるが。今は韓国発のおいしくてかわいらしいスイーツがいろいろあるけれど、この当時、韓国にスイーツなんてすてきなものはなかった。ソウルですら、おいしいケーキやパンが食べたければ、日本で修行してきた職人さんがいるお店に行かなければならなかったし、数も多くはなかった。そして、肝心のお味は、なんだかなぁ・・・なものが多かった。町中にあるたいていのケーキ屋さんのケーキには、いちごのかわりにミニトマトがのっていたし、生クリームではなくバタークリームが主流だった。それが、20年後にはこんなに変わるなんて!
群山にいるとき、カフェへはひとつ年下の友達とよく行った。ヒジョンというめちゃくちゃ美人でめちゃくちゃ優しい子だった。彼女とは、大学の中の社会人向けの英語講座で知り合った。群山大学の英語科を卒業した彼女は、航空会社への就職に向けて英語講座に熱心に通っていた。ある日の授業後に少し立ち話をする機会があって、そこから、私たちはすぐに仲良しになった。ヒジョンのお姉さんのご主人は、日本でいうところの外務省にお勤めだったので、ヒジョンは大学を休学し、お姉さん夫婦の赴任先であるスーダンに帯同した貴重な経験を持っていた。スーダンの比較的安全な場所に住んでいたのだが、そこでの出来事や、旅行で訪れた中東の話はとても興味深かった。今の情勢では、絶対に訪れることのできない国や、壊されて永遠に姿を消してしまった歴史的価値のある建物や遺産、光景もたくさん見てきた彼女は私にいろんな世界を見せてくれた。スーダンのGがどれほど大きいかなんて話で盛り上がって笑い転げたことも懐かしい。
ヒジョンはその後、しばらくして仁川空港に就職が決まり、当時本国勤務だったお姉さん夫婦が住んでいた京畿道のイルサンに引っ越すのだが、時を同じくして私も偶然イルサンに住むことになる。ヒジョンは、私が結婚するときには介添人を務めてくれたし、長男を出産した際にもたくさん助けてくれた。日本の両親が韓国に遊びにくるときは、私に代わり、仕事を抜けて空港での出迎えから、空港バスに親が乗るまでをサポートしてくれた。ヒジョンはいつもにこにこしていて、お料理上手で、美容にも詳しかった。彼女とのおしゃべり時間はいつもいつも楽しかった。今でもとても大切な、そして自慢の友人だ。
ヒジョンとよく行った群山のカフェはどこも、コーヒーを一杯注文すると、クッキーだの、バナナだの、お皿に山盛りのお菓子が出てくるのがふつうだった。だから、コーヒー一杯で長居できたし、おなかは満足した。うっかりランチを食べすぎた後に行ったカフェでは、クッキーの山を前に、ランチを食べすぎたことを後悔したことは数知れない。私は、てっきりこのサービスが韓国どこでも共通なのかと思っていたけれど、ソウルではそうではなかったらしい。この事実を知った時のがっかり感は相当なものだった。なんやねん、損した気分やん、と。コーヒー一杯で元を取ろうとする関西人気質がついつい出てしまう・・・。
今でもソウルに行くと、必ずカフェに行く。朝早くから空いているところも多いから、チェーンのパン屋さんのカフェで朝食を兼ねてコーヒーを飲んだり、歩き疲れて、そこらへんのカフェで休憩することも多い。そして、たくさん歩いたんやし、と言い訳をして美味しそうなスイーツも注文してしまう。カフェに行くとやっぱりテンションが上がってしまうよね。