半生のイカ メクバンソク・イカ

はじまりの日

韓国・金浦空港に降り立ったのは、2001年の2月の終わりだった。それまで、ソウルと釜山そして済州島には観光で訪れたことはあったが、いずれも2泊か3泊の短い旅行であって、今回のように“住む”ことを目的とした長期滞在は初めてであった。しかも、ソウルから250キロ離れた聞いたこともないような小さな田舎の港町。良くも悪くも世間知らずで怖いもの知らずだったから、不安なんて微塵もなかったけれど。 その前年にニュージーランドで出会った韓国人の彼(現・夫)が復学する大学がその小さな港町にあったので、彼の復学に合わせてワーホリビザで渡韓することにしたのだ。 空港まで迎えに来ると約束していた彼は、事情で大幅に遅れてやってきた。実家から遠く離れた大学に向かう息子にしばらくは手料理が食べさせられないことを悲しんだ彼の母親が、食べきれないほどのごちそうを作っため、断れず、また早々に食事を切り上げることもできず、しっかり食べたのを母親が見届けてからでないと家を出られなかったのだ。約束の時間に間に合わなくても、ごはん優先、これは彼の母親世代の常識なのかもしれない。 ようやくやってきた彼はしっかりニンニクの匂いを体にまとわせてきた。降り立てば、ニンニクの匂いでいっぱいの金浦空港にいても、彼のニンニク臭は負けていなかったから、よほどのことだった。 そのあと、地下鉄で江南の高速バスターミナルに移動した。ここは、今では迷うほど大きな商業施設を備えた駅に変貌していて、若い子たちがおしゃれでプチプラな服を求めていつもごった返している。だが、当時は高速バスに乗るためだけに降りる駅というイメージだった。ここからは、早朝から深夜まで韓国各地の都市へ高速バスがひっきりなしに出ている。私たちが目的としている全羅北道・群山に向かうバスも30分おきくらいの頻度で出ていた。高速バスの多くは優等と呼ばれるゆったりした座席の乗り心地のよいものだったけれど、群山までの運賃は2000円もしなかったと思うから、お得感のあるバス旅だった。ソウル市内を走るジェットコースターのようなバスとは違い、揺れることもなかった。途中のトイレ休憩を挟んで約3時間半の旅。 私は距離感も何もわからなかったから、やっと着いたと思ったところが東ソウルのトルゲート。なんと旅は始まったばかり、まだ京畿道からも抜け出せていなかった。ここから高速に乗り、3時間はかかると聞いてずいぶんびっくりしたことを覚えている。 韓国の高速道路にあるサービスエリア、韓国語でいうところの休憩所はかなり充実している。休憩所に寄ることは、旅の楽しみのひとつでもあるくらいだ。いちばん好きだったのは、イカを焼いたもの。アツアツの石の上で焼かれてくるっと丸まったイカを裂いて、コチュジャンにつけて食べる。イカが肉厚で、ホカホカあったかくて、本当に美味しかった。バスの車内がイカの匂いで充満しても乗客誰も何も言わない。だって、ほぼすべての乗客が同じようにイカをほおばっているのだから。韓国の休憩所に行く機会があれば、是非堪能してほしい逸品だ。 ようやく到着した群山のバスターミナルは、お世辞にも立派とは言えなかった。小さな小屋のような事務所と待合所が併設されているだけの小さなターミナル。そして、街にはソウルのような大きな建物はマンション以外何一つなかった。群山は、昔の映画「8月のクリスマス」の撮影場所なのだが、映画で見た風景そのものだった。何年か前にタイムスリップしたんじゃないかと思うくらいのどかだった。それでも、バスターミナルがあるそのエリアは、市内と呼ばれる群山唯一の繁華街だった。 バスターミナルから、夜の真っ暗な海沿いをタクシーで走ること20分。ようやく、これから彼と私が住むことになるマンション(韓国ではアパート、略してAPT)に到着した。畑なのか空地なのかわからないだだっ広いところにポツンと一棟だけ建っているアパート。20階建てくらいの大きなアパートの角の小さなお部屋が私たちがこれから約2年住むことになるお部屋だった。まだガスの開通工事をしていなかったから、オンドルもつけられない。2月終わりの韓国はまだまだ寒い。なので、大学のすぐ前にある彼の友人のワンルームに一晩だけお世話になるのだが、ワンルームだから、当然狭い。その狭い空間の狭いトイレの便器の上にシャワーがあるのには本当に面食らった。 どう使っていいやら、粗相があってはいけないと遠慮して、ろくに髪も洗えず適当に顔と手足を洗って終わりにした。 たぶん、便器をビショビショにしながらシャワーを浴びて、あとは適当に拭いて終わり、お掃除も一緒にできて一石二鳥!的なことなんだろうけれど。 とにもかくにも、日本から来たよくわからない初対面の女子まで快く泊めてくれ、一台だけのベッドも譲ってくれた優しいご友人に感謝しつつ、韓国第1日目が終わった。